リューデスハイム
今回はライン川下りとロマンチック街道を楽しむことに。
自宅からはMKのアルファードで伊丹空港へ、羽田からルフトハンザでフランクフルトへ。バスに乗り換え、ライン川河畔の町リューデスハイムへ。
リューデスハイムに着いたのはもう夕刻で、ホテルにチェックインを済ませて荷物を部屋に置くなり、夜の町へ。リューデスハイムは可愛く、とても美しい温かみを感じる街。一回りした後、レストランや酒場が軒を連ねる「ツグミ横丁」のビアホールへ。
翌朝、鳥の鳴き声で目を覚ますと外は快晴。朝食を済ませて出発までの時間、ホテルの庭でスナップ。おもしろいものを発見。なるほど周囲はワイン畑だ!ワインの樽風に洒落ている部屋があるではないか!ただのオブジェかと私も思ってはいたのだが、、、。あろうことか、由美子はスナップをとっている最中にExcuse me!とか何とか云いながら、ガバッと扉を開けたのであった。中からおじさんが、’Guten Morgen!’だって。’Sorry’とすぐに扉を閉めたのだが、由美子の話では、中はワイン樽をそのまま使った部屋であったとのこと。


ライン川クルーズ船に乗るまでの小一時間、リューデスハイムの街をぶらぶら歩き。



ライン川クルーズ
ライン川はスイス・アルプスに源を発し、スイス・オーストリア・リヒテンシュタイン・フランス・ドイツ・オランダ6か国を経て北海にそそぐ。全長1320kmにおよぶ国際河川である。以前、オーストリアでドナウ川クルーズを楽しんだことがあるが、ドナウ川は「母なる川」、ここライン川は「父なる川」とも呼ばれる。
ライン川で最も有名なお話が「ローレライ伝説」。もともとローレライはライン川右岸の水面から130mほど突き出た岩山である。もともとの「ローレライ伝説」はざっと次のようなものである。船がこの岩の近くを通ると岩の上から美しい歌声が聞こえてくる。あまりの美しさに聞きほれていると、船を操舵することも忘れ船が座礁・転覆して船乗り達は死んでしまうというものである。本当のところは、昔はこのあたりは川幅が狭く急流であったために船が転覆する事故も少なくなかった、ということらしい。
しかし、伝説というものは進化するものである。物語は、人々の心に響くよう「美しく」「少し残酷」なものに変化するのである。ローレライという美女がいた。周囲の男たちを虜にしないではおかない美貌だが、しばしば男の面目をも失わせることもあった。魔女裁判にかけられ、そのころ恋人の裏切りにあったローレライは死を願うが、裁きの結果、修道院送りとなる。その道中、恋人の城を一目見たいといって岩に立った彼女は川へ身を投げるのであった。川の精霊となったローレライの歌声は船乗りたちを魅了し破滅へと導くというものである。少し時間を持て余すライン川下りには、この話のほうが向いている。
ラインフェルス城
トイレ休憩
「中世の宝石箱」ローテンブルグ
夕食はドイツ料理のレストラン・クロースターシュテェーブレ。気取らない店内の雰囲気は、郷土料理と地元のビールを味わうのにはとてもいい。写真はローストしたマウルタッシェンとポークのロースト、ポテトとウィーン風ポークカツレツ。料理の味はややおおざっぱだが、ビールと食べる料理としては、これでもOKか!?付け合わせのフライドポテトの量が半端じゃないし、デザートも繊細さの欠如を量でカバーしている!終わってみればお腹は一杯!!





ローテンブルグは13世紀に帝国自由都市となり商業で繁栄したが、17世紀に三十年戦争で衰退した。そのおかげで中世の街並みがそのまま残ったのであった。19世紀にロマン派の画家によって描かれ、広く世界に知れ渡った。その後、第二次世界大戦には街の40%が破壊されたが、戦後忠実に中世の街並みが再現されている。
ローテンブルグ旧市街は1.2 X 1 Kmほどの城壁に囲まれた小さな町だが、中世の姿がそのまま残る数少ない貴重な街である。
おもしろい伝説がある。この三十年戦争でティーリー将軍率いるカトリック軍にプロテスタント側のローテンブルグは3日で陥落した。ローテンブルグの市長や町の重役たちは処刑され、街も焼き払われることになった。その絶体絶命のピンチの中、ティーリー将軍とカトリック軍を地元名産のフランケンワインでもてなすこととなった。ティーリー将軍はこのもてなしを大いに喜び、もし3.25リットルもある大杯のワインを一気に飲み干すものがいれば、処刑と町の破壊を免除してやろうと提案したのであった。そこで手を挙げたのがナッシュ市長であった。彼は見事に大杯を飲み干しローテンブルグを救ったのであった。これを祝うのが、毎年5月に行われるマイスタートゥルンク(市長の一気飲み)の祭りである。
マルクト広場近くのケーテ・ウォルフト・クリスマスビレッジはクリスマス博物館を併設しており、一年中かわいいクリスマス雑貨が買える。



ローテンブルグの街を歩いていると可愛い看板をよく目にする。ローテンブルグでは看板の高さ・大きさ・場所が統一されているそうだ。さすが、マイスターの国ドイツ、看板も魅力的で凝っている。







木組みの家の街ディンケルスビュール
ローテンブルグのとなり町ディンケルスビュールは、中世には皇帝直轄の帝国自由都市として栄えた。幾多の戦争の中でも被害を受けなかった珍しい街で、今も中世の美しい街並みを楽しむことができる。ディンケルスビュールは円形の城壁に囲まれ、石畳と切妻屋根の木組みの建物が軒を連ねる。
ここにも逸話がある。三十年戦争のさなか、スウェーデン軍にとり囲まれて陥落寸前だったディンケルスビュール。城壁の塔の見張り番の娘ローレとディンケルスビュールの子供たちは、敵の将軍に面会し、町を救ってくれるよう嘆願し慈悲を乞うた。その子供の中に、自分の息子に似た少年を見た将軍は、町を解放したのであった。
ドイチェス・ハウスは15世紀に建てられた7層の木組みが美しい中世の家。数ある木組みの家でも特に美しいといわれ、現在はホテルとレストランを営業している。この日は、このレストランでランチ。
ドイチェス・ハウスは国宝級の建物だが、レストランのなかも中世の雰囲気を漂わせる。街の歴史を現わした壁画や天井の絵・壁の照明は否応なく心を中世にタイムスリップさせる。